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2017_08
21
(Mon)00:40

コンサドーレの持つ希望

よく挽回可能な勝ち点差は残り試合数と言われますが、
現在23節が終了、残り11試合、
今のコンサの勝ち点20に11を足すと31、
・・・11位のヴィッセル神戸(現在勝ち点30)までは射程範囲だー!

なんてことを書くと、降格最有力候補のチームが何を血迷いごとを、と言われそうですが、
15位でも11位でも残留は残留だもんねー、
いいじゃんか、15位を維持することが目的ではないんだから、
上の順位目指すことと残留目指すこととは両立するんだから。


先日読んだ本の中で、
希望とは「・・・だから」持つものではなく、「・・・にもかかわらず持つものだ」
という言葉が出てきました。
「モモ」や「はてしない物語」で知られるミヒャエル・エンデ氏の言葉だそうです。
出典を探して見ましたが、どうやら作品の中の言葉ではなく、インタビューでの言葉のようです。

ある時、エンデは、
「希望とは超自然的な徳なのだ」
と語った。そして、なぜ超自然的かと言うと、希望とは、「・・・だから」持つものではなく、「・・・にもかかわらず」持つものだからだ、と力を込めて話した。
 つまり希望とは、順風満帆、全て調子よくうまく進んでいて、希望を持つ理由があるから持つのではなく、苦境にあり、万事休す、なにもうまく行かない、希望なんて持つ理由がどこにもないとき、そのようなときにこそわいてくるものだから、というのである。

(岩波書店 「エンデを旅する」 田村都志夫 より)


新聞やネットニュースに文字として載る試合結果、失点数やシュート数を見ていれば、
なるほどコンサは厳しい、と見られるのはしょうがない。
けれど、雨の中、風の中、走る選手たち、応援するサポーターの声に、
すでに諦めが見える?

単に90分間の流れを伝える文字のみからなら、
厳しい、無理、諦め、そんな状況が導かれるかもしれない。
でも、スタジアムで、TVやPCの画面の中で、
見えるもの、聞こえるもの、感じられるもの、
歓喜、悔しさ、涙、感謝、
たくさんのものが、たくさんの想いが、起きては流れ、流れては起こりする。
それを体験することは、90分を単なる数字、単なる時間ではなくしてしまう。
確かにその一瞬一瞬は過ぎ去って戻ってはこないけれど、
ちゃんと私たちの中に残されるものがある。


エンデを生んだドイツでは、
ユーモアとは「にもかかわらず笑う」こと、だとされるのだとか。
辛いとき、苦しいとき、思い悩み、後悔する、
そんな時でも笑顔を見せること。
それは関わりある人たちへの思いやりであり、その人たちの、そして自分の心を和らげ、力を与えるものになる。

文字として、単なる時間として90分を見る人は、
「お疲れ様ー」「いや、悔しいなあ」と言いながら笑顔を向けあう私たちを非難するかもしれない。
たるんでいる、とか、危機感が足りない、とか言って。
でも、文字ではない、数字ではない90分を過ごす私たちには、笑顔は当たり前でいいんだ。
お互い笑顔もかわせない、話す言葉もない、
そうなってしまったら、それこそ90分は単なる数字だ。
無味乾燥な単位だ。
「時間どろぼう」が苦もなく盗んでいってしまうだろう。


今年が以前のJ1時とは違うと思えるのは、
きっとスタジアムに、そういった意味での希望やユーモアがあるからだと思うのです。
何年も、何年もかけて、少しずつ、私たちが集うスタジアムに、
そんな”徳”のようなものが生まれてきたのだと思うのです。
そしてきっと、これから先も積み重ねられていくのです。

もっとたくさんの人が集う、
そんなスタジアムになっていくのだと思うのです。


C.O.M.M.E.N.T

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